そういえばふと思い出しました
若い頃、自分の声があまり好きじゃなくて
音程が不安定だね、とか女の子なのに高い声が出ないんだね、とか言われて
頭の中に流れてる声は低いのに
実際はよく裏返るし変なとこでかすれるし
なんだかなぁ、と思ってました
そういえば、ってくらいもう昔の事になったんですけどね
今は年と共に声も低くなり、スマホの普及により動画を撮る機会が増えて自分の声を聞くのが増えたので気にならなくなりました
あとね!英語!
英語を喋る時って日本語よりも音程が低めになるので、自然と低めの声になった気がする
多分口の中で使う場所が違うんだろうね
自分で思っている姿と違う、とか
なりたい姿と違う、って苦しいよねぇ
私は美容の仕事を始めてからさらにさらに
ルッキズム、フェミニズム、容姿に言及しない、自分で選択したものだけ誉めるとか
かなり気にするようになってから
人に言われることもどんどん気にならなくなりました
体型、見た目、生まれつき持っているものではなくて
その人が選んだ服やカバン、髪色、行動など話す事は十分にある
(この場合髪質、髪型ってかなり生まれ持ったものに左右されることがあるから慎重になる)
あとエイジングね
たるみ、しわ、しみ、体型の変化
老化していく自分の事も卑下しない
色々忙しくて自分に構えない時も自分を卑下しない
ってのをできるようになってから、
それらを言及してくる人の方が価値観合わないな、と思うようになりました
(女子力低いね、とか肌シミ目立つね、とか
太ったね〜!とかね)
今時見た目の話を肴にお酒飲むより
美味しいご飯食べるために普段は自炊してここぞという時に体調合わせて大好きなお友達に会えるって方が100万倍プレシャスです
お酒飲める方がいい気がしてた若き頃の私へ、お酒弱いぞ
付き合うなら誰?とか、もし付き合ったらどんなデートする?とか架空の恋愛を想像するよりも
最近ハマってる事や推しの活動の報告会をしてる時の方が私はずっと楽しい
36歳になったけど、やばいね36だね、というよりも
今が一番空気が吸いやすく
よき人間でありたいし、よきオバでありたいと思う事の方が多い
人にイライラするのを我慢して徳をためるより
ゴミの分別して環境に配慮してる方がしっくり来る
そして家庭を持ったから変わったとか
資格を取ったから変わったとかでなく
変化とともに進化できるようやっぱり小さき若き人の事を考えます
15年前からオバ業してるけど
彼らが楽しく生きれるように一緒にやっていこうね、何か困ったら一緒に考えようね、という気持ち
そう思うと人生の40%オバとして生きてきた経験がまた私を変えたのだなぁ、と思います
自分の声とか人中が深いのとか
目の形が違うのが気になってた小さな頃に比べると
自分の書く時々出てくる字が好きだったり、爪の形が好きだったり、英単語が直接思い出せなくても説明できた時の喜びの方がずっと深く大きくなってきました
そうね、自分自身の価値観も
見た目や生まれ持ったものではなく、自分の行動や自分が身につけたものの方を重視するように変わったんだと思います
ところが、我が家はアフリカンとジャパニーズの家庭なので
見た目の話ってめっちゃ多い!笑
旦那さん脚長い、顔小さい、とか子ども産まれたら可愛いだろうね、とか
そうなんですそうなんですけども
脚が長くて顔が小さいから結婚したわけでもなく
産まれたら可愛いだろうけど、見た目だけじゃなくてそのまま生きてることが尊いんですけどね...
出逢い方よりも何食べてるの?文化の違いは?と聞かれる事の方が多いけど
食はそれぞれ、趣味も全然違うから共通で楽しめる事は未だ模索中
日本は日本人同士のカップルが多いように見えるけど、よーーーくみるとそうでもない
ミックスの家庭も、ルーツが様々な家庭も沢山いるんだけどもだけど
まだ数が少ないというのが現状だと思います
なので
いつか、いつか
人種や見た目の話をしなくても個人の趣味や価値観を重視して話せるといいな、と思うんです
そんな夏!